若いクリエイターがいかに生き残っていくかということに対して、椿氏のメッセージはいつも決まっているらしい。 「TOEICを受けましょう。それから、脱出パラシュートを用意すること。そうすることで、日本から脱出できるというある種の非常口に手をかけておける(笑)。サバイブするということは、つまりエスケープするということで、戦って死ぬのではなく、生き残ることが重要なんです。そのためには若いクリエイターはもっと世界で活動していくべきだと思っています。日本特有の文化の中でしか生み出せない強みはあるはずだから、それをどう生かしていくかを実践して欲しい。僕も、高層ビルで働く経営者達が持っているという40万円くらいの脱出パラシュートがヤフオクに出るのを今は待っているんですよ(笑)。」
BBC Criticized for Spending Too Much on Art
01.06.10 The BBC has been criticized for spending millions of pounds of licence fee payer’s money on art works for its new flagship building including forty thousand dollars on a remote controlled helicopter to fly overhead, reports The Telegraph. A number of pieces have been commissioned costing nearly $6.5 million for Broadcasting House, the corporation’s headquarters in central London, currently undergoing a $1.3 billion refurbishment.
ヒロ:宮津さんは、いつぐらいからアートを買うようになったのでしょうか? 宮津:94年ぐらいから現代美術を買う様になったんですけど、90年代中盤というのは、白石さんや小柳さんといった、今やビックギャラリーと呼ばれるようなギャラリーがオープンし、、東京でも、美術館以外の場所で、購入することを含め、現在進行形の現代美術を見る機会が本格的に出来たばかりの頃でした。 ヒロ:そうですね。その前は銀座の貸しギャラリーしかなかったんですよね。それから小山さんとか、タカさんが出て来て全く状況がよくなったんですね。 宮津:そうそう、最初は奈良さんのドローイングなんて1万円しないぐらいでした。それが、今じゃ数千から数万ドルでも手に入らない時代ですからね。あの頃は、アーティストにとっては、何枚売れても腹の足しにならないような時代でしたものね。すごく面白い事をやっていても、市場が成熟していないことで、タイミングを逃したという例は無数にあったと思うし、画廊も10万円ぐらいの家賃を払うのに苦労しているような状況だったから、日本人アーティストの作品をきちんとした形で海外に紹介したり、大型作品の制作費をサポートをしたりというバックアップの体制も整っていなかったと思います。
実は、内地の抱えたむずかしい課題を回避し、満州でこそ純粋に方法的になることができたのは、ひとえに美術家だけではなかった。「鬼畜米英」を標語とする戦中に、こともあろうにモダニズムを許容するというのは、実は実験の土地=満州でこそありえた特権でもあったのだ。たとえば建築では、内地では国家のイデオロギーと近代建築の方法を兼ねるため、実に奇妙な折衷を余儀なくされた(鉄筋コンクリートの近代建築に和風の瓦屋根という、いわゆる「帝冠様式」)が、満州では前川國男のような建築家が戦後のモダニズムを先取りする設計を推し進めることができた。ほかにも東映の基礎となった満映が外地で果たした技術の蓄積が、戦後の映像娯楽にいかにフィードバックされたかは、今日多くの人が知るところとなっている。 こうして考えたとき、満州ひとつとっても、その「‘文化’資源としての〈外地〉」が持つ広大な領野は計り知れない。一時の無根拠なアジア・ブームが去りつつあるいま、植民地主義的にアジアのイメージを収奪するのではなく、みずからの「内なるアジア」について考察を進めるべきときが来ている。
建畠晢「国際展におけるマルチカルチュラリズム」 […] 建畠氏は、マルチカルチュラルな展覧会はまず欧米で試みられ、その後、非欧米地域に移植されたとしつつも、多文化主義的な発想を90年代以降の国際展に導入したとして「大地の魔術師たち」展を評価した。その評価ポイントは、キュビスムとの比較にある。キュビスムはアフリカの部族芸術を参照したが、呪術や装飾など本来の用途から切り離した賛美であり、またそれらの部族芸術はフランスの植民地から運ばれてきたものである点で、芸術のフィールドにおける植民地的搾取であった。これに対し、「大地の魔術師たち」展は、企画者のマルタン自身がアジア・アフリカを回って文化人類学的な現地調査を行った点で従来のプリミティビズムではなく、現代美術展へのマルチカルチュラリズムの導入という姿勢は、90年代以降の国際展に大きな示唆を与えた。ただし、そこで欧米の「現代美術」と併置された非欧米地域の美術は、結局のところ「大地の魔術師たち(Magiciens de la Terre)」ではなく、「大地から切り離された魔術師たち(Magiciens sans la Terre)」になってしまったと建畠氏は批判する。そして文化的にフェアであろうとする立場もまた、政治的立場の一つであるという客観的な認識を持つことの必要性を訴えて、発表を締めくくった。 「大地の魔術師たち」展がはらむ問題は、非欧米地域の作家を欧米側はどう評価すべきなのか、さらにグローバル化が進展する中で、欧米で受け入れられるような評価を戦略的に内包した非欧米作家に対して、欧米側はどう対処すべきか、ということとつながっている。